泣いた日も笑った日も全部私の道のり~19年のKISEKI~抗がん剤初日、帰宅してから本当の闘いが始まった
- 幸子 北口
- 16 時間前
- 読了時間: 2分
手術後の浸出液が落ち着き、いよいよ抗がん剤治療が始まりました。
初回は必ず入院。1泊2日です。
朝に採血をして、結果が良ければそのまま入院。
午後から始まった点滴はAC療法。
副作用止めの点滴のあと、真っ赤な薬剤に変わった瞬間、
「身体に毒が入っていくんだな」と、はっきり感じたのを覚えています。
看護師さんがこまめに様子を見に来てくださり、
その日は落ち着いて過ごすことができました。
夕食も普通に食べられ、「思ったより大丈夫かも」と思っていました。
けれど翌朝。
ご飯を見た瞬間、食欲がゼロに。
吐き気がじわっと出てきて、何も食べられませんでした。
それでも歩いて帰宅。
ところが、家に着いた途端、緊張の糸が切れたように
船酔いのような感覚で起き上がれなくなりました。
その時いちばん辛かったのは、体のしんどさよりも、
「わかってもらえない孤独感」でした。
入院のために来てもらっていた義両親が、
退院したから帰ると言って荷物をまとめ始めたのです。
治療後にしんどくなることを伝えていたのに、伝わらないもどかしさ。
動けない私を見て、夫が「あと2日休む」と言ってくれた時、
張りつめていた気持ちがほどけ、涙が出ました。
その2日間、夫は家のこと、子どものこと、すべてを担ってくれました。
本当に救われました。
後日来てくれた義母は料理ができないと言い、
温めるだけのお惣菜を毎日並べてくれました。
その時の私は「情けない」と感じていました。
でも今ならわかります。
あの時必要だったのは、完璧なサポートではなく、
**“誰かがそこにいてくれる安心”**だったのだと。
こうして、私の抗がん剤生活が始まりました。
この経験があったからこそ、今、私は思います。
治療中に本当に大切なのは、薬だけではなく、
心と体をやさしく整える環境だということを。
がんと向き合う日々の中で、「この経験が誰かの安心につながったらいいな」そんな気持ちが、ずっと心の中にありました。
同じ乳がんサバイバーの友人と話す時間に何度も救われてきたからこそ、安心して気持ちを話せる“こころの居場所”をつくりたいと思い、「こころ日和」という時間を始めました。
病気の話をしても、しなくてもいい。ただ話して、少し笑って帰れる場所。
そんな場所があることを、そっと心の片隅に置いてもらえたらうれしいです🌿





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